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ウエイトリフティングの道具の変化と競技性 2025.7.15記


剣道の装備が変わった話

剣道をやっている人から聞いた話です。昭和生まれの子供たちが剣道をやっていた頃と比べると、装備品の質がかなり変化しているのだそうです。

防具である面や小手は、昔の素材と比べてかなり軽量化されており、そのおかげで体への負担が減り、速く動けるようになったとのこと。

竹刀も軽くなっていて、持ち手の作りも昔より振り回しやすく、より素早い攻撃ができるそうです。

胴着に至っては、綿ではなく今どきのジャージのような通気性のある軽い素材に変わり、洗濯しやすくなって、きちんと洗っていれば臭くないのだとか。

話を聞くだけでも、時代の流れと技術の発展はすごいものだと思います。

ただ、その発展によって競技性も結構変わってきているそうで、そこが昔から剣道をやっている人から見ると「剣道とは」と思ってしまう懸念材料にもなりかねないようなのです。

昔は重たい装備と重たい武器で有効打を取らなければならないので、体の使い方や動きもどうしてもそれに合わせたものになります。

それが軽くなると、もっと細かい動きができてしまう。昔では考えられないような躱し方、いなし方、攻撃の仕方が生まれ、体の使い方も当然変わります。手先で竹刀を素早く動かせるぶん、どうしてもダイナミックさに欠けたプレイスタイルになってしまうそうです。

私は剣道を話に聞くだけでそこまで詳しくはないのですが、この話で思ったことがあります。

技術の発展は、一見すると競技をやりやすくしているように思われる。しかし実は、その本質を変えてしまうのではないか。

剣道の本質が何なのかは、私には分かりませんが。

そしてこれは、ウエイトリフティングでも同じことが言えるのではないか。そう思ったので、エッセイとして書いてみることにしました。

ウエイトリフティングの道具も変わった

昔はバーベルのスリーブという部分が回転しませんでしたし、落とせば歪みました。シューズの素材も違えば、プラットフォームの材質も違います。

プレートはゴムやウレタンのようなクッション性のある素材ではありませんでした。だからこそ、それがルールに反映されて「降ろすこと、落としてはならない」となっている面もあると思います。

バーベル自体も今と違って劣化しやすかったのでしょうから、自分がやろうとしたタイミングでのバーベルの状態が常に一定であるとも限りません。

剣道ほど道具が多い訳ではないので、剣道ほど競技性に影響するとは言えないかも知れません。それでも、バーベルの素材の変化はかなり大きいと思います。

過去に見たルールブックの内容を思い出すと、ウエイトリフティングでは確かプラットフォームの素材について言及されていた気がします。できるだけ昔と条件が変わらないようにしているのかも知れません。

「降ろす」を考えなくてよくなった

バーベルの素材が技術的に向上したおかげで、現代ではバーベルを落としても大きな問題にはならなくなりました。

これは非常に良いことだと思います。しかしそのおかげで、競技としては「降ろすこと」を考えなくてもよくなりました。

肩のラインまではバーベルから手を離してはならないとルールに記載されていましたが、実質、落ちていくバーベルをそこまで握っていれば良いだけです。そこに力を使うことはほぼありません。

そうなると、降ろすためのスタミナを残しておく必要がなくなるので、挙上重量が上がっていきます。

ちゃんと降ろさなければならない時代であれば、降ろすためのスタミナや力を勘定に入れた上で挙上重量を決めることになります。落とせるならもっと挙げられるのに、それを抑えるという判断も必要になったでしょう。

これはやはり、バーベルの素材が「落とせるようになった」技術発達のおかげと言えます。

記録を同列に並べて良いのか

しかしここで、一つの疑問が生じます。

バーベルを降ろさなければならなかった時代の記録と、落とせる時代の記録を、同列に並べて良いのか?

厳密に見ていけば、降ろすところにも力とスタミナを使う競技と、落としても問題ない競技は、同じ競技と言えるのだろうか……と。

こう考えると、ルールブック上で「落としても良い」や「挙上後は落とす」と書けない事情が見えてきませんか。

おそらくここを変えてしまうと、昔のウエイトリフティングと今のウエイトリフティングは同じ競技だと言えなくなるからではないでしょうか。

クリーン&プレスがなくなったこと

ウエイトリフティングと言えば、クリーン&プレスという種目がなくなりました。

この変更もまた、それまでの競技とは違うものにする類のものでしょう。

昔は3種目やらなければならないため、体力配分を考えた上での重量設定になっていたはずです。3種目ぶんの体力が2種目で済むのであれば、スナッチやクリーン&ジャークの扱える重量はもう少し増やせるのかも知れません。

当時の時代背景や、変更に際してどんな意見があったのかは分かりません。ただ、その時代のスナッチやクリーン&ジャークが、今のものと同列だとも思いません。

人間の成長か、技術の成長か

ウエイトリフティングの本質は、割とシンプルです。

人よりも高重量を挙げた者が勝ち。

だからこそ、多少の競技性の変化でウエイトリフティングが別の競技になってしまうということは、少ないのではないかと思います。

しかし疑問は残ります。

スナッチとクリーン&ジャークの2種目で重量を競うという今の形に落ち着いてから、結構な年月が経ちました。その間にも、バーベルや、もしかしたら身につけるアクセサリの技術はかなり変化しています。

今の形式になってから、バーベルが気安く落とせるようになった時代の記録と、そうではない時代の記録。その境目はどこにもありません。

疑いの目を持ってみれば——ある年やその先数年、妙に世界記録や日本記録の更新頻度が高いとき、それは選手の成長ではなく、実はバーベルの成長なのでは? なんて。

人間という生物が、急激にそこまで進化するとは思えません。

もちろん、トレーニング環境などの条件が良くなったからというのはあるでしょう。しかしそれだって、人間の進化ではなく「環境という技術の変化」と言うこともできてしまいます。

どこまでが人間の変化で、どこまでが技術の変化なのでしょうか。

私たちが見ているウエイトリフティングという競技は、いったい何を見せられているのでしょうか。人間の成長なのか、それとも技術の成長なのか。

ピンク色のシューズ

話は少し変わりますが、ウエイトリフティングよりもっとシンプルな「走る競技」でも、道具や環境の技術は目覚ましく進化し、記録は幾度となく更新され続けています。

比較的新しい記憶としては、マラソン選手の「ピンク色のシューズ」ですね。あのシューズを履いた人のほぼすべての記録が塗り替えられたそうです。

これは、その人が成長したのでしょうか。それともシューズのおかげなのでしょうか。

もちろん、そのシューズを履いたときに変化する力への対応力も身につけていなければ記録は伸びないでしょう。しかし、すでにトップアスリートであればその辺りは問題ないはずです。

どこかで聞いた話では、人間自体の能力は初期オリンピックの頃と大して変わらないのだそうです。

それでも、人間の競技を見る理由

今、AIがどんどん社会に進出してきています。将棋では、すでにAIには敵わないと言われています。

それでも人間が将棋を続ける理由は何でしょうか。人間同士の戦いが面白いと感じるのは、なぜでしょうか。

スポーツも多分、これと似た状態なのだと思います。

道具や環境が良くなって、道具のおかげ、技術のおかげであるにも関わらず、それでも人間のプレイを見て面白いと思うのはなぜなのか。

ウエイトリフティングではあまり感じませんが、対戦競技の場合、人間同士で行うからこそ「どうなるか分からない」というワクワク感があります。これは技術や環境の発達だけでは起こせないものです。

ウエイトリフティングだって、人間がより良い技術で高重量を挙げていく、その記録を塗り替えていく。その楽しみは、技術や環境の発達だけでは生み出せません。

だからこそ、技術や環境は平等に分け与えられなければならないのだと思います。一部の人だけが恩恵を受ける状態では、その面白さは成立しなくなってしまいます。

少し話を逸らしますが、ドーピングが強く非難されるのは、それがすべての人に平等に分け与えられる技術ではないからだ、という見方もあるようです。

なぜ平等に分け与えられないのか。その理由が、アンチドーピングとそうでない立場の人たちの間に論争を起こしている一因なのかも知れませんね。

競技の本質を決めておくということ

技術の発展が競技に明らかな影響を与えるのは、どうやら確かなようです。

だからこそ、技術がどう影響しようともぶれない競技性や本質を決めておくことは、競技が壊れないための一つの手段だと思います。それがある限り、スポーツはもう少し楽しめるのではないでしょうか。

もっとも、技術はそれを壊すこともできてしまう。それもまた実際のところなのでしょう。

ウエイトリフティングも、ロボットと対戦する羽目になったら最終的には絶対に勝てないですからね。

ロボットウエイトリフティング選手権、ちょっと楽しそうだな……

(落ちナシ)

2025.7.15 著


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